最近のお熱関連のブログでお気づきの方も多いかもしれませんが…
息子さんコロナにかかりまして。
もう完全に復活し、自主健康管理期間が過ぎるのを待つばかり。
最近でも子供がコロナにかかり脳に転移した、なんてニュースも上がっていたので、重症にならず本当によかったです。
正直な話、なぜか我が家はかからないもんだと思っていたので
(どこからそんな自信出る(笑))
コロナ対策、政策がしっかりしている台湾で「かかっちゃったらどうする?」っていうのを追わずに過ごしていました。
でもコロナは本当に突然やってきました。
「え、何すればいい?政府になんか出すんだっけ?罰金にならない?」
幸い発病の次の日から旦那さんがお休み。
ドタバタと調べまくって、聞きまくって、、という感じだったので、振り返りも兼ねてシェアしたいと思います。
こんな症状でした
✔︎2日ほど高めの熱が出ている(最低37.5〜最高で39.0)
✔︎短時間で熱がガーっと高くなったり、落ち着いたりする
✔︎頭や上半身は熱がこもって熱いけど、足先は冷たい
✔︎座っていられない
✔︎息子の場合は、鼻水、嘔吐はない
✔︎熱がなくなると咳が少し出た
✔︎喉が痛いのか1週間くらいはご飯の食べが悪い
✔︎水をあまり飲みたがらない
本当に突然…
「おかしいな」と思ったのは、夜中寝ている時
日中元気モリモリ普通に遊んでいたのに、夜中にいきなり発熱、泣いて起きる
泣き方が異常で、横で寝ている息子の頭が異常に熱い
1時間おきに同じようにして泣いて起きる。
7:30a.m. 起床
だるそうで、熱を測ると38.3
水も飲まない、ご飯も食べない状態。
リンゴジュース(これお薦めしているコストコ商品のもの。日本から持ってきてたのがまだあり、助かった!)だけ飲んでくれた。
リビングにいても座っていられない状態で、私のそばにきてすぐに横たわって寝る感じ。
1歳の時に打った予防接種と同じ感じで目もとろんとしている。
朝一番で病院にかかろうと思いましたが、症状が熱だけなので寝れば治るかな、とちょっと様子を見ることに。
ベッドに移動し、昼まで寝る
38.8まで出たり、急に下がったり。
なんか変だな〜と思いつつ寝ても熱が下がらないのはおかしいなとは思う。
寝た甲斐もあり、水分、お粥を食べれるようになる。
子供はすぐに熱を出すと聞くし、季節の変わり目かな?、もしかしたら川崎病とかの違う病気の前兆?なんて家族と話し、コロナとは全く思わなかったです。
なぜなら…
コロナワクチンを打っていたから!
内心どこかで自分達はかからないものだと決めつけていたかもしれません。
午後
1:30〜5:00ぐらいまで終始ベッドで横になり、寝ていました。
時々起きて、水分を飲んでまた寝る感じ。
主人が帰宅し、簡易キットで検査、陽性発覚。
21:50頃
オンライン診療を親だけで受けて指示をもらった。
※オンライン診療や発熱外来では、どこも簡易キットをした結果を求められます。
家族がコロナになったら
現在は、簡易キットで陽性が出たらお医者さんの認定を受けて正式な陽性登録になります。
こんな流れになります↓
✔︎お医者さんにコンタクトを取り、コロナ陽性認定を受ける
✔︎お医者さん→政府へ連絡が行き、「確診」
✔︎SMS受信、同居者などの資料提出
✔︎学校、会社へ連絡義務があれば連絡
✔︎隔離通知書受領→隔離を選んだ場合
(✔︎衛生局、住んでいる区の人と電話連絡 多分みんなある)
✔︎隔離または条件によって自主健康管理
✔︎隔離期間終了後、自主健康管理に移る
政府へ同居者などの資料を提出
翌朝、SMSに該当者のコロナ陽性確定メッセージが届く。
そこに政府へ提出する資料リンクが添付されてくるので、そこから24時間以内に回答。
同じく24時間以内に1回だけ記入ミスなどを直せる。
ミスらないように本当に気をつけてください…
私はミスって面倒なことに。
隔離あけ、区の健康センターへ紙を提出に行く羽目に。
提出データの注意点
✔︎24時間以内に回答
✔︎1度提出後、24時間以内に1回だけ変更可能
✔︎質問にある「病院やクリニックにかかったか?」という質問、
コロナ陽性から1週間遡ればOK
✔︎陽性者本人が20歳以下の子供やその他個人携帯番号で直接連絡が取れない理由があれば、法定代理人を立てる必要があり
→今回は子供だったので親一人が法定代理人として登録必須
✔︎同居人で3ヶ月以内に陽性判定となった人の名前は登録する必要なし
現在の濃厚接触者の定義は?
上記のサイトで見てみると、
発病または陽性判定が出た最初の日〜隔離に入る2日前から考えて、
「近距離長時間」の接近、または「同居人」
近距離長時間は、対面か2m以内で会話、ご飯を食べた、または接触
二人のどっちかがマスクをつけてない状況下で
さらに、その時間の累計が24時間以内で15分以上
こんな感じになってます〜
サイトへの登録は、「同居人登録」または「学校、会社への連絡」だったので
例えば友達とランチをしていたとして、その人に一応連絡するくらい。
その人に様子を見てもらうくらいしかありません。
隔離期間
(◯+◯)の意味は、完全外出禁止の隔離期間+自主健康管理の日数を表しています。
陽性者本人:7+7
法定代理人:7+4
同居者は2チョイス
①コロナワクチン3回打ち終わっていない人:3+4
②コロナワクチン3回打ち終わっている人:0+7
例えば、旦那さん陽性、奥さん同居人の二人暮らしで
奥さんがワクチン3回打ち終わっていれば、二人がいきなり一歩も出れなくなるわけじゃない!
これは以前に比べたらだいぶ緩和されましたよね〜
いろんな家族のケースがあると思うので、隔離日数や必要かどうかなどそれぞれ確認してくださいね!
隔離通知書の受領
衛生局から確認の電話。
私が電話を受けた人は、少し日本語が話せました!
衛生局から住んでいる各区の管轄に情報が入り、日々の健康管理などは区の人とやるみたいです。(と言っても、隔離日数の確認くらいでその後1回連絡がきたくらいです。)
「隔離通知書」が発行される。
今回は子供が陽性だったので、法定代理人で指定した私の分も受領。
当初、同居人として登録した旦那さんは「0+7」を選択したので、
隔離はなし、通知書もなしでした。
衛生局の人に、検査キットが欲しいとリクエストすると政府への資料提出サイトに同居者として登録した人数あたり3回分が届くよ!と言われました。
区から確認の電話でミス発覚
各区の人から確認の電話が入り、私は政府資料の隔離日数選択をミスっていることに気づきました。
同居人ルールで言えば、私は法定代理人とするものの、ワクチン3回打っているので「0+7」の選択でよかった。
相談した台湾人の話しでは、子供のお世話係に指定すると3+4だよ〜と言われ、何の疑いもなく3+4にしたんですよね〜。
そうすると、「今の状態だと、隔離は7+0+3で10日だけどいい?」みたいな聞かれ方をしました。
「え、なになに、10日?意味わかんない。何の話?(キレ気味(笑))」
大元の政府への提出資料を変えようにも24時間経っていたのでHPからはできず、区の人と連絡をとりながら対応してもらいました。
何人かに転送、転送、確認するよと言われても中国語でなかなかうまく行かない!
くそー!と発狂しました(笑)
「3+4から0+7への変更契り書」というPDFを送ってもらい、それにまずは記入、スクショで送信、隔離が明けたら区の健康服務センターへ原本を提出しに行きました。
めんどくさい…
でも、行ってみたら専用箱があるくらいで、簡単でした(笑)
みんな同じようなことしてるのね、ってなりました。
というわけで、資料の提出は本当に気をつけてください…
自主健康管理中のルールは?
隔離通知書に結構細かく書いてありました。
マスクしてね、社会的距離を保とうね、とかは一般的なルール。
それら以外で読み取れたものを挙げてみると、主なルールはこんな感じです。
(読み間違えてたらごめんなさい!)
陽性者本人
✔︎7日間の隔離ののち、自主健康管理7日に移る
✔︎隔離ののち、特徴的な症状がなければ日常生活に戻れる
→隔離終わる時に簡易キットで検査しなさいとは書いてない!
ま、気になるからやるけどね(笑)
✔︎他人と近距離で接近すること、人との集まり、社会的な集会などに参加しない
同居人(隔離した人)
✔︎隔離ののち、自主健康管理4日に移る
✔︎仕事や必要な買い物以外はあんまり出ない
✔︎外出時は、2日以内の簡易キット陰性結果を必ず確認後、外出
→携帯で写真撮って持っておけばOK
✔︎レストランで內用禁止、人との集まり、人が多く集まる場所へ行かない
✔︎入院してる人の付き添いしない
✔︎自主健康管理中に熱、咳、嗅覚・味覚異常など症状があれば簡易検査をする
発症後、これ気をつけて〜
✔︎家庭内感染が第二波でくる!
→2、3日は潜伏期間があると考えて、二次被害がきます。
我が家は旦那さんが陽性。
後追いで陽性が出た場合は、お医者さんにみてもらうところから全く同じことをします。
そしてもちろん隔離期間がダラダラと続きます。
✔︎外に出れる人がいる間に食材の確保
オムツの防臭袋あると何かと便利。
✔︎喉の痛み、鼻水、微熱が主な症状、薬があれば用意、処方してもらう
喉を潤す飴、ドリンク、うどんや雑炊系、ゼリーとかあると便利
✔︎開けられる窓は全部開けて換気
✔︎こまめな消毒、室内でマスク着用、枕カバーやタオルなどこまめな洗濯
✔︎大人同士でも同じタイミングでマスクを外さない(ご飯ずらすとか)
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。
1週間ですが、やはり自分の体調も万全でもなく、みんなの機嫌が何かしら悪く最悪な感じでした(笑)
何より健康が一番…
そして自由な生活が幸せだなって感じた日々でした。